OB&不定期参戦
<OB>山川 竜司
タッグ王座 | |
WEWハードコアタッグ王座 | |
歴代 | 第8代 |
パートナー | 金村キンタロー |
BJW認定タッグ王座 | |
歴代 | 第2代 |
パートナー | 田尻義博 |
BJW認定タッグ王座 | |
歴代 | 第4代 |
パートナー | 田尻義博 |
BJW認定タッグ王座 | |
歴代 | 第6代 |
パートナー | 中牧昭二 |
BJW認定タッグ王座 | |
歴代 | 第8代 |
パートナー | マイク・サンプラス |
BJW認定タッグ王座 | |
歴代 | 第10代 |
パートナー | 本間朋晃 |
BJW認定タッグ王座 | |
歴代 | 第13代 |
パートナー | シャドウWX |
シングル王座 | |
BJW認定デスマッチヘビー級王座 | |
歴代 | 第6代 |
対戦相手 | シャドウWX |
BJW認定デスマッチヘビー級王座 | |
歴代 | 第8代 |
対戦相手 | シャドウWX |
解説
色紙に「不死身」と書くつもりが「不自身」と書いてしまうほどOBAKAっぷりながら、その人間臭さと浪花節的存在が長きに渡り愛されてきたミスター大日本。
草創期は中牧との血みどろブラザーズとして頭角を現し、やがてデスマッチ新世代をWX、本間と築く。
だが、2001年3月試合中に頭蓋骨骨折のアクシデントに見舞われ、意識不明の重体に。
ここから山川の苦難の人生が始まる。
療養後、復帰を希望する山川に対しそれを容認するか否かの論争が巻き起こる中、同年12月2日の団体創設以来最大のビッグマッチ・横浜アリーナ大会で復帰。
万雷の拍手で迎えられた山川は「なんて・・・なんていいでしょう、プロレスっていう職業は」と嗚咽をあげた。感動的な復帰戦にはなったが、全盛期の動きはなかなか取り戻せず、その後は長期休養と復帰を繰り返す。
スポット参戦を続ける中、2009年8月には7年ぶりにデスマッチを敢行。 プロレスを続けたいという願望と現実との葛藤の中、それでも山川は大日本のリングを愛し続ける。
2010年10月、登坂から引退勧告が告げられ、引退に向けての練習を行うことを決定。2011年にはスナックを札幌から横浜へ移転し、横浜道場での練習を開始。
2011年11月22日後楽園大会、休憩明けの挨拶にて、登坂社長から最終期限を「2012年7月15日・札幌テイセンホール大会とする」と宣言。
12月6日新木場1stRING大会にて復帰。ここから引退ロードとして、蛍光灯から有刺鉄線、ファイヤーデスマッチや月光闇討ちデスマッチなどをこなし、2012年7月15日・札幌テイセンホール大会「蛍光灯+五寸釘ボードデスマッチ」をもって引退した。
引退後は横浜のスナックの営業を継続しつつ、運動指導士の資格を目指し、スポーツを通じた社会貢献活動に取り組むことを表明。
解説:鈴木健